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2005/05/21

表現の仕方

最初に、今回のエッセイはかなり反感を買うだろうことを述べておく。

学生時代を通じて、そして今なお疑問に思っていることがある。

それは「表現の方法」に対する日本人の考え方だ。

自分の意見を正確に伝えたいとき、どんな表現を使うべきだろうか?

実に簡単な答えだ。「率直に」そして「簡潔に」表現することだ。

自分が結論を導いた根拠を簡潔に説明し、「だからxx」だと率直に伝える。または「こういった状況を想定した場合、方法Aでは△△となり方法Bでは○○となるから方法Aを取るべきだと思う」のような表現ならば相手に誤解されることはほとんどないだろう。自分の意見を求められる場面では、自他の関係を明確にした上で論理的かつ簡潔に述べるべきなのだ。

ところが、論理性と簡潔さ、率直さは日本では重視されていない。簡潔さと率直さはむしろ欠けているといえる。わたしには全く理解できないのだが、日本では自分の意思を強く主張することが美徳とされていないようだ。それどころか「悪いこと」と評価されているように思える。日常会話だけではない、議論・会議などの発言を思い浮かべてほしい。主語のない会話がごく普通に見られるし、腹芸を使った発言まで出てくる。大学自体に読まされた論文に、非常に「迂遠な」文でかかれたものがあった(しかも英語だ)。それを見たわたしの感想は次のようなものだった。「こいつは自分の発見したことに自信がないのだろうか?それとも自分以外は理解しなくてもいいと考えているのだろうか?」

 

小説であればそれも良いだろう。小説は活字として表現された本文を読み、そして状況なり心理なりを推測しながら読む楽しみを持つものでもあるからだ。

 

「技巧を凝らした表現のほうが高度な表現じゃないか。高度な表現を使って何が悪い。むしろ使うべきだ。」と簡潔さを強調することに異を唱える方もいるかもしれない。これはわたしが実際に受けた反論だが言わせてもらえるならば

君はアホか

(汚い言葉だが、他に表現が見つからないので赦してほしい。わたしは率直に自分の考えを述べる主義なのであえて使わせてもらう。)小説は全ての読み手が同じ感想を持つものではないだろう。それと同じように遠まわしな表現やごてごてと修飾をつけた表現というのは、自分が望んだ解釈とは違う解釈をされてしまうこともあるのだ。なぜならば、そのような表現の解釈には聞き手の主観が大きく影響してしまうからね。遠回りであったり無駄に修飾された表現というのは「正確に自分の考えを相手に伝える」という目的を達成するためには非合理的なのだ。

 

わたしが「簡潔な」表現にこだわる理由はもうひとつある。実は、簡潔に表現するというのはとても難しいことで、結構悩むんだ。実際、ぐだぐだと長ったらしくご高説を垂れてくださったある人に、「結局のところは何が言いたいのでしょう。結論とその根拠を簡潔に述べてください。」といったところその人は黙ってしまった。一度だけではないよ。(この方法はなかなかに使えると思う。長ったらしいご高説が好きな人に使ってあげよう。ただ単にご高説を垂れたいと思っている輩なら大抵はだまる。この場合はその話は聞く価値がなかったということだ。一方でちゃんと応えてくれるならその方はよく考えた上での発言ということになる。真剣に向き合う必要があるだろう。)

簡潔に表現するということは、闘技場に入るために鎧を脱ぎ捨てることだ。鎧がどんなに豪華であっても中身がへろへろなら誰も(良い意味で)見てくれないし、戦いに勝つこともできないだろう。中身が鍛えてあるならば鎧がぼろぼろだろうと戦いに勝つことができるのだ。

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