近状その2
ごめんなさい、今回も近状報告です (>_< ;)
決意を篭めておこうと思って私的メモ
会社では理不尽なことが多々ある。上層のミスでわたし側の作業が遅れたのに一方的に責め立てられて責任を問われたり、上層が「判断はこちらに任せる」といったにもかかわらずその判断について「常識だとこういうものじゃないの?」とか理由も聞かずに責め立てられる。
今回もそういったことがあった。作業の遅れは上層側に原因があったにもかかわらず上司に叩かれ、その後の電話では判断はこちらに任せると言うのでわたしはいくつかの根拠を元に合理的な判断をしたのだが、その判断に対していきなり電話がかかってきて「常識を考えろ。首にするぞ」と言われたのだ。親族からは「絶対に首にはなるな」と毎日毎日言われていたのでそれに感化されたこともあるのだろう。つい、詫びを入れてしまった。そのうえ、今後は一切逆らわないというなんとも愚かな制約まで交わしてしまった。
絶対に間違っていると確信を持って断言できるような行動をとってしまったのがまずかったのだろう。直後から、言葉に表せない苦しみを受けている。数日経った今でも薄れていない。他人であれば顔を合わせなければ済む話だが、自分というものからは誰だって逃げることはできない。間違った行動をとった自分を、常にどこでも自分自身が、休むことなく責め立てるのだ。首になるわけにはいかないから、、、などとは言ってみても所詮は言い訳である。痛みが和らぐことなどありはしない。
どうしようかと塞ぎこんでいると、10年以上の付き合いの親友から檄を飛ばされた。
「譲歩したほうが楽になることもある。でも、自分を貫くこともできる。俺はお前のまっすぐなところが気に入っているんだ。お前は昔から一人でも自分を貫いてきたじゃないか」
この一言で吹っ切ることができた。
人は理論で納得し、感情で行動を起こすという。わたしは特に筋が通っていないと納得しないし突っぱねる性質だ。時には常識が誤りであることもあり、これは間違ってはいないと思う。筋が通らないものは、文句なく間違っている。これを指摘することは間違いではないと思う。職は失うかもしれないが、間違っていることがまかり通る「実るほど頭を垂れる稲穂かな」的会社なら首になったほうが遥かにマシだ。もし、現代社会にある企業が全てこれだというのならば死んだほうが遥かにマシだ。
わたしはやはり自分を曲げることはできない。自分を貫くことはとても辛いことではあるけれども、曲げることはそれ以上の苦しみに身を投じることに他ならない。結果、職を失ったり、寿命が縮まってもそれはそれでいいと思う。未練などないのだから10年20年縮んだところでどうということはない。辛くても、自分が正しいと思う選択肢を取っていこうと改めて決心することができた。
PS.
気付かせてくれた親友には本当に感謝しています。彼が平穏で幸せな生活を送れることを願ってやみません。
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