論文は公開されるべきだ
参照:最上氏の日記
わたしも論文は、読みたい人がいつでも読めるようにするべきだと思う。 現在では、論文を読むためには高い金を払って会員になるか、 ひとつの論文にだいたい $20 を払うのどちらかしかない。 中には無料で公開されている論文もあるが、少数であり、例外に属するだろう。 つまるところは、論文に目を通せるのはごく一部に限定されている。
ごく限られた人々だけしか最先端に触れることができない状況は 正しいといえるだろうか?そんなことはあるまい。
If I have been able to see further,とは、Isaac Newton の言葉である。彼は、この言を以って 科学とは偉人たちの業績の上に積み重ねて発展していくものだ ということを後世に伝えている。
it was only because I stood on the shoulders of giants.
「わたしが遠くまで見渡すことができたのは、
ただ単に巨人の肩に乗っていたからである。」
ニュートンの言葉が正しいことは、今までの歴史が証明している。 現在の文明は、誰かが原理あるいは法則を明らかにし、誰かが それを人類の文明水準向上のために応用する方法を発見する。 そして、また誰かがさらに応用技術を開発したり、 取って代わる原理・法則を明らかにすることで発展してきたのだ。
原理や法則は、それを発見するだけでは文明の発達には繋がらない。 それを生活に応用する技術が開発されて初めて文明が発達するのだ。 「そんなもの知ったことか」とお偉いさんはのたまうかもしれないが、 発展・発達に繋がらない発見ならば存在しないことと変わりないだろう。
より多くの、よりよい技術を発見するためには、 多くの人に目を通してもらったほうがいい。 新しい発見や法則を導く礎となるためにも広く一般に公開するべきではなかろうか?
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