公正取引委員会から通知書が届いていました
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政府が決定した 2009 年度科学技術白書で、日本の科学技術力低下と基礎科学力の現状に対して危機感が表明されました。
日本の科学技術の競争力低下を憂慮し、特に基礎科学力の現状に強い危機感を表した。
白書では、この10年間に成果が出やすい、流行を追った研究に偏り、長期間かかる研究や新しい領域を生み出す挑戦的な研究など、「基礎研究の多様性」が損なわれたと指摘。基礎研究を支える研究費の政府負担比率は18%(08年度)と、仏39%や米27%、中韓25%より少なく、高等教育機関への財政支出(対国内総生産比)でも「経済協力開発機構(OECD)加盟国で最下位」と強調した。
( 科学技術白書:基礎研究力に警鐘 「多様性損失」, 2010-06-15, 毎日.jp )
事業仕分けで基礎研究分野の予算削減しようとしたのはどこの誰だろうね。
日本の経済は、資源の大半を他国から購入してそれを加工した製品を販売するという加工貿易に依存している。
事業仕分けでは、この危険性がまるで理解できていないとか思えない発言が多々飛び出していたと思うんだが。
お上はまったくわかっていないようだが、お金に結びつく技術というのは狙って発見できることはほとんどない。ビッグバン宇宙論には、著名な科学者の名言がいくつか紹介されているが、その中に次のようなものがあったと記憶している。
いいアイディアを見つける最良の方法は、たくさんのアイディアを出すことだ。
そして、基礎研究の大切さについては GFP でノーベル賞を受賞した下村教授も次のように述べている。
基礎研究なしに応用研究というのはありえないことだ。したがって基礎知識の進歩なしには応用面での画期的発展は望めない。基礎科学部門を研究する若い科学者たちが、よりたくさん輩出されることを切望するだけだ。短期に結果を出すことができる研究にかたよる傾向が確かにある。しかしこれは各国政府が解決しなければならない問題だと思う。
5年ほど前、研究室にいるときに聞いたのだが、直接商品化できるようなものとか特許になりそうなものでないと研究費がもらえないという。また、論文を出した数も予算に関係するという。民間企業であればこの姿勢も無理はないと思うが、国立でこの姿勢はいかがなものか。
基礎研究はそう簡単に結果が出るようなものではないのだからぽんぽん論文を書けようはずがない。また、たとえ結果が出たとしても、基礎研究は解明の段階に過ぎないのだから直接お金に結びつくことは稀だ ( お金に結びつける、つまり生活を便利にするにはどうしたらいいかとかを考えるのは応用研究 )。
多くの著名な研究者方が指摘しているように基礎なくして応用はありえない。
政府はこのことを早急に理解するべきだ。
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YouTubeは選挙戦に向けたこのプログラムを拡充し、候補者が有権者とビデオを介して交流できるフォーラムを設けたと、発表した。
4月11日にスタートした「You Choose '08 Spotlight」では、各候補者が動画を投稿し、視聴者に政策を訴えることができる。これに対し、視聴者は1週間の期限内に、みずからの意見を撮った動画を返す仕組みになっている。
( 2007/04/12, CNET News.com, 原文:Elinor Mills, 翻訳:CNET Japan 編集部 )
「ネットの利用は不公平」などとほざく時代錯誤甚だしいどっかの国の選挙制度とは大きな違いだね。
TV は一方的なメディアだ。ごく一部の人間だけがその他大勢に情報を垂れ流すだけのメディア。
しかし、ネットは違う。誰でも情報を発信できるし、発信した情報に対して誰でも反応することができる。ネットは双方向性を持ったメディアだ。真摯な意見には真摯な反応が返ってくる ( ごく稀にそうでない反応も返ってくるけど )。
今回のフォーラム --You Choose-- はネットの双方向性を上手に活用していると思う。「自らが演説する動画」とすることで、稀に混じってしまうゴミ ( 「ググれ!」だけの投稿とか「2げっとズサー」というような投稿 )も少なくできるだろう。討論になることもあるかもしれないが、それは双方が真剣にその問題を考えていることの証でもある。討論になることはむしろいいことだし、その候補者が問題に取り組む姿勢を知るチャンスでもある。
You Choose により、より世界の声に耳を傾けている候補者そしてより有権者が望む答えを出した候補者が当選するようになるだろう。そして、有権者の声に耳を傾けない ( ユーザからの投稿にまったく反応しない ) 候補者と有権者が望まない政治を取ろうとする候補者をふるい落とすようになるだろう。TV で一方的に垂れ流す政権演説なんぞよりもはるかに「健全なアピール」だといえる。
有権者からの反応に答えなければならないのは面倒だという政治家もいるかもしれないが、そもそも民衆の声に耳を傾けないのであれば独裁と変わらないのであって、そんな独裁者は民主主義国家の政治家として相応しくない。有権者が重要だと思っている ( つまり、たくさん声が集まっている ) 、でも難しい問題に答えない場合は、緊急を要する問題が出たとしても後回しにしてしまうような政治家かもしれない。こういった候補者を選別するいい試みだと思う。
日本も時代錯誤甚だしい戯言をのたまってないで、よりよい選挙につながるテクノロジーは積極的に活用できるようになるべきだろう。
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サイバーエージェントは4月6日、AmebaVisionに投稿された東京都知事選の政見放送の動画を削除したことを明らかにした。
同社は「政見放送は、公職選挙法に基づいて候補者の政見放送をテレビ放映することになっており、その放送回数は各候補者毎に明確に定められております」と理由を説明。今回の削除は特定候補者の政見放送だけが視聴される不公平を是正するための措置だとしている。
( 特定候補者だけが視聴されるのは不公平--AmebaVisionが都知事選の政見放送を削除, CNET Japan, 鳴海淳義, 2007/04/06 )
TV は公平でネットは不公平なの?
ずいぶんと面白いジョークだね。コメントにあるように時間を合わせなければ演説を聞くこともできないメディアが公平とは到底思えない。また、聞けば ( わたしは TV というハードウェアを持っていない ) TV では候補者のうち数人だけに注力されていて、視聴者の目に触れる割合は平等ではなかったというではないか。
ネットにアップロードすることを「不公平」であるとし、TV 放送こそが「公平」だと主張する愚か者はたいていこういう。「ネットは PC とか持ってないと見れないじゃないか」。なるほど確かにそうだ。しかしそれは TV で放送される演説に対しても同じことが言える。TV というハードウェアがなければ視聴できない。PC を不要と判断して所持しない人間がいるように、TV を不要と判断して所持しない人間もまた存在する。
公職選挙法とやらは「TV は誰もが持っている」という前提が必要なようだが、メディアが多様化している現在では、この前提は文句なく間違っている。どのメディアを使ったとしても候補者の演説を視聴できるようにするべきなのだ。
選挙管理委員会の対応、動画配信サービス提供各社の対応どちらも正しいとは言えない。BGM が追加されていたり演説を入れ替えるなど編集が加えられた動画が削除されたのは、政見演説の趣旨 ( 候補者の主張を候補者が考えた通りに有権者に伝える。一切編集を加えてはならない。) からいい対応だったと思う。しかし、公開された動画の中には一切編集が加えられていないものもあった。これまでも削除されてしまったのは残念でならない。
選挙管理委員会は誰でも、いつでも候補者の主張を確認できるように候補者全員の動画をテキストと合せて公式サイトに用意すればよかったのだ。また、動画配信サービス側は「自由に政権演説を確認できるようにするための方法の一つ。ほかの候補者の演説も用意してほしい」と切り返してほしかった。( ただし、前述のように候補者の主張が誤解されないように編集が加えられてしまったものは削除するべきだと思う )
また、わたしはネットにはネットの利点があると思う。まず第一に、見たいと思ったときに好きなだけ目にすることができる。TV 放送は放送時間に合わせなければならないが、ネットならいつでも自分の好きな時間に確認できる。TV 放送もビデオなりレコーダーなりに録画すればそれが可能だが、TV 本体とは別のハードウェアが必要になることが多い。ネットはそんなもの必要ない。そういったサービスは向こう側が提供するものだ。
第二にじっくりと考察できる。TV 放送ではうまく聞き取れなかったとしても、もう一回ということはできない。別の機会を待つしかないが、放送回数も規定されているので周りがうるさかったりして聞き取れなかった場合は残念ながら諦めるしかない。ネットはページをリロードするか「もう一回見る」ボタンをクリックすれば気がすむまで演説を確認できる。主張に矛盾はないのかといったことは勿論、候補者 A と候補者 B は正反対のことを言っているがどちらがいいのだろうという場合も好きなだけ両者の主張を比べることができる。
第三に、ユーザの好きな形式で候補者の主張を確認できる。選挙演説という動画だけでなく、テキストでもプレゼンテーションライクなスライド形式 ( Javascript を駆使すればブラウザでも実現可能 ) でも好きな形式を選べる。しかし TV はそうはいかない。自由にスクロールできない TV で文章を流されても読み取りづらいだけだ。
第四に、コストがそんなにかからない。選挙カーを用意するだとか、マスコミに取り上げてもらうとかだと金銭だけじゃなくて精神的・肉体的なコストも大きい。しかしネットは違う。サイトにファイルをアップロードしておくだけだ。選挙のポータルページに候補者全員のファイルをアップロードしておけば平等というものだ。どれだけ有権者の目に触れるかはユーザが決める。ネットはユーザ主導型のメディアだ。候補者がお偉いさんでどれだけ金を持っていようがユーザが首肯しなければ支持は広がらない ( 批判は広がるかもしれないが )。
それぞれのメディアを利用しているユーザに、それぞれに合った方法で候補者としての主張を伝える行為のどこが悪いのだろうか。情報伝達手段が多様化した今では唯一の正しいメディアなんてものはないのだ。
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「天下り全廃」を提案した御手洗氏には拍手喝采だが、「官僚がやる気をなくす」という理由で「天下り全廃」に反対した閣僚は一体全体何を考えているんだか…。
( Life is Beautiful 「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」バトン)
本当に呆れる限り。天下りが公認されているような現状こそが、国力の低下に繋がっているとなぜ気付けないのか。
天下り撤廃に反対するような議員は即刻懲戒免職にするべきだ。天下りがなくなったら「やる気がなくなる」様な議員も同じく懲戒免職にするべき。
退職ではないよ。退職だと、退職金だとかなんだとかいろいろと理由をつけて少しでも甘い汁を頂こうとするのは明らかだからね。そんなことができないように懲戒免職にするべき。そして懲戒免職にした議員の名前を全て公表するべきだ。国民の税金を私物にしようとしたのだから、これくらいの制裁は当然だろう。
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404 Blog Not Found 国は自らを助くものを助く...か?より
さらに極論してしまえば、愛国者の存在を前提にしないと成立しない国に存在意義があるか、はなはだ疑問なのだ。あなたを愛しもしない国をあなたが愛さねばならない道理はないではないか。
鋭い指摘に笑いながら同意。
税率引き上げになぜ反発が強いのか。なぜ年金基金を納付しないのか。その答えがまさしくこれではないか。税を払ったところで政治家の懐に消えるかなにかの尻拭いに消え、年金基金を納付したところで生活保護より少ない ( つまり、最低限の生活なんて到底できない ) 額の年金しかもらえない。
リターンがないにもかかわらず、徴収する税を増加するといわれても納得するはずがない。政治家は必死で言い訳を垂れ流しているが、納税する側から見れば、実感できるリターンがなければそれは存在しないことと同じなのだ。となれば、納税しろという国の命令が無視されるのも当然といえる。
スウェーデンは税率が高いことで有名だが、それでも税を収めているのは世界各国から注目と賞賛を浴びるほどの社会福祉の恩恵を得ることができるからだろう。明確な、そして負担と釣り合うだけのリターンがあれば日本のようにぼろくそに叩かれることはないんじゃないだろうか。
国民が国のために存在するのではなく、国が国民のために存在するのだ。国民のためにならぬ国などに存在する価値はない。
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少し前にGDP3.3%上昇の情報を受けてか「景気は回復傾向にある」という発表があった。また、これを受けて「回復傾向にあるので減税を全廃する」という政策が決定した。消費税の増税も持ち上がっている ( というか与党議席2/3以上なので確定 )。増税の理由は全て「景気は回復傾向にあるから」で片付けているが、本当に日本の景気は回復しているのだろうか?
結論を述べてしまえばこれもまた小泉の大嘘である。
IT分野では優れたエンジニアは100人のパンピー以上の生産性を持つ。したがって、大規模リストラと人員整理を行った大企業が利益を伸ばしたことで GDPの増加につながっただけのこと。下請け企業は未だに真冬である。リストラの対象となった犠牲者は真冬どころか南極ど真ん中に捨てられているようなものだ。実際、8月の企業倒産数は754件で前月比11.7%も増加している。
東京新聞の記事に生の声がある。これをみれば「失業率が改善された」というのも「不況から回復している」というのも大嘘だとわかる。
政府の景気対策は「お金を持っているところを中心にした対策」で、「オレみたいな末端の失業者は粛清されてしかるべき、てことじゃないの? 世の中に必要がない人はいない、ていうけど、それはうそ」と、自嘲(じちょう)気味に語った。
これが小泉政権の現実だ。
日本が「景気は回復しつつある」ということを否定する証拠はこれだけではない。 前に取り上げた OECDの調査結果である。OECDの調査結果では貧困率が上昇傾向にあることが示されている。また、「文化的で健康的な最低限度の生活を営む」ために生活保護給付を受けている世帯も現在では100万世帯を超えて ( 95年は約59万世帯 )増加している。
加えて、利益が増加している大企業でもサラリーマンの給与には反映されていないのが現状だろう。むしろ、年金費用など社会保障費の増額や税金の増加によって生活は苦しくなっている。
中小企業がばたばた倒産して、就職先が決まらぬ労働者がいて、生活保護世帯が増えている。政府はどこを見て景気は回復しているというのか。また、誰のための景気対策なのか?
政府は減税を撤廃し、消費税率を引き上げ、さらに生活保護などの社会保障予算も見直す ( 「削る」といった方が正解だろう ) という。大企業と高所得者だけしか考えていないことは明白だ。小泉改革の行き着く先は、ごくごく一部の金持ちだけがさらに富を寡占する超階層化社会に他ならない。「誰かがきっと助けてくれるさ」などと考えてはならない。金持ちは自分の金を守ることと増やすことしか頭にないのだ。自分の生活を守りたいなら自分で声を出さなくてはならない。さあ、声を上げよう。
「金持ちオンリーの改革は直ちに止めろ」
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http://www.asahi.com/politics/update/0914/009.html
憲法改正もやるだろうとは思っていたけどね・・・
増税も郵政民営化も自衛隊派遣も予想していた通りで、腹を抱えて笑いました。でもね、これは笑えなかった。笑えるものでもない。日本は過去に犯した過ちを反省し、二度と繰り返さないために、そして世界に平和を訴えていくために日本国憲法を策定し今まで守ってきたはずだ。
日本国憲法は平和主義・国民主義・基本的人権の尊重を柱としてこれらを厳密に保証する世界に誇れる憲法である。特に、日本国憲法ほど平和を訴える憲法は他には存在しない。それを、小泉が全てぶち壊そうとしている。自分の方針に合わないなら憲法でさえも都合よく書き換えてしまえという態度だ。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
上に掲げたのは日本国憲法の前文である。これにははっきりと「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらないようにする」ことと「主権が国民に存する」ことが書かれている。国政のあり方も同様に「人類普遍の原理」として当たり前のことが書かれている。そして「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とあるのだ。つまり、憲法であっても人類普遍の原理に反するものはあってはならないしそのような改変は認めないということである。
小泉にとってはこの前文は邪魔以外の何者でもあるまい。おそらく、最初の改正案では前文に手を加えるはずだ。すなわち「世界の治安を守る名誉ある地位にふさわしい国でありたいと思う」などというように軍事行動も認めるように書き換えられるだろう。また、第九条にもやんわりと手を加える。おそらくは第九条は「専守防衛の姿勢に変わりはないが、人道支援は積極的に行う」というような内容になるだろう。国民へ情報を開示するときの焦点は前文と第九条に絞られるはずだ。
第九十六条
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする
その裏では、改憲に関するこの部分にこっそりと手を加えておくに違いない。つまり、「参議院の1/2かつ衆議院の2/3以上の賛成があれば国民の承認を得たものとし、即時公布できるものとする」などというように国民党票が必要ないような逃げ道を作るのである。当然ながらこの部分は、メディアには流さない。今回の選挙と同じように、前文と第九条の改正によってどうなるのかを盛んに宣伝し、改正するのは「前文と第九条のみである」かのように見せるのである。もちろん、賛成すれば日本人は世界のヒーローになれて、反対した奴は臆病者か悪党だと思い込ませることも忘れない。
第一次憲法改正が通ったら即座に次の改正案を提出する。もちろん内容は、「国際的な正義と秩序を守る名誉ある戦闘に限り、これを許可する」だ。そして、徴兵制が復活。国民の批判に備えて治安維持法も成立させるだろう。なんてこった、再び暗黒の時代の始まりだ。
日本国憲法前文には「名誉ある地位を占めたいと思ふ」とあるが、この名誉ある地位の国家とはいったいなんだろうか?武力と国力をちらつかせるような国家だろうか?相手に銃口を突きつける行為のどこに「世界平和を願う」姿勢があるのか、甚だ疑問だ。「侵すことのできない永久の権利」と定められている基本的人権すらも保証されない社会が住みやすい社会なのだろうか?世界と自分の子供に誇れる社会なのだろうか?わたしには、世界に誇れる憲法が台無しにされ、国民の生活も破壊されるような気がしてならぬ。
こんなことになるはずがないと思うなかれ。自民・公明が圧倒的議席を保持する今、法案は全て通る。憲法の改正にしても、今回の選挙のように猿回しの猿に仕立て上げられていることに気付けないようでは、やはり通ってしまうだろう。そうならないためには、国民皆が政治に真剣な目を向けなければならない。そして、生涯教育を言葉だけでなく実践していかなければならない。
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選挙前「延長は困難との認識」
↓
選挙後「延長案提出」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050913-00000238-kyodo-pol
郵政民営化を強制成立させることが可能であり、延長案に関しても 同じく強制成立させることが可能になり、さらに米国から要請があったため 早速の暴走。「平和を望む声なんぞ知ったことか俺はアメリカに従う」 という小泉の声が聞こえてきますよ。このままだと憲法第9条削除もやりそう。 そうして世界に誇れるものが消えていくんだね。
http://www.asahi.com/business/update/0914/045.html
国民の民意・生活なんぞ知ったことか政策第二段。以下引用
石会長は総選挙後の朝日新聞のインタビューに対し、「バブル税制の 遺産である定率減税を直さなければ、小泉首相のいう07年度の 抜本的税制改革はできない」と答えた。今秋の政府税調の06年度 税制改正答申にも全廃を盛り込む方向だ。
自民党幹部は13日、「『サラリーマン増税』と定率減税の廃止とは全く別物。 一時的な減税を元に戻すことは増税とは言わない」と述べ、定率減税を 全廃しても政権公約には反しないとの考え方を強調した。
こんなことをのたまってくれていますが、支払う金額が増えればそれは 増税と変わらんだろう。もう一つの反論は「論点整理は自営業者向けの 税制などにも触れている。サラリーマンのみを対象としたわけではない」 というもの。つまり、所得者全てに増税を行うので「サラリーマン」増税 ではないよということです。そういえば、サラリーマン増税は行わないとは 言っていましたが、他については言及していませんでしたね。 いやぁ、見事な抜け道を用意しておきましたね。
あ、法人税についても触れていましたよ。「税収が不安定で社会保障の 財源には向かない」だから議論しないということでした。いやぁ、またも 強者を優遇して弱者に鞭を打つ切捨て政策。さすが小泉。 ま、自民が296議席を強奪した時点でこうなると予想していたので 驚きません。むしろ、あまりに予想通りなので大笑いしたくらい。
前も書きましたが、野党が何を言おうが参議院でいくら騒がれようが 自民だけで296議席あるのでどんな法案でも必ず成立します。それは、 最終的な決定権は衆議院にあり、2/3以上の賛成票を獲得できれば 成立させることができるからです。裁判所には違憲立法審査権がありますが 日本は具体的違憲審査制あるいは付随的意見審査制といわれるタイプであるため、 具体的に提起された事件に付随して国家行為の違憲性の 有無の審査を行うことしかできません。つまり、審議中の法案は 当然として、成立後も法律そのものを審査の対象とする ことはできないのです。事件として提起することが難しい 法律を成立させられてしまった場合は、違憲立法審査権による無効化は とても厳しいものとなります。
まぁ、これらを承知の上で投票したのでしょうから、当然
自民に投票した馬鹿は
文句いわずに税金納めるよね?
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解散総選挙の結果を受けていくつかの新聞では結果を嘆き、 これから始まる政治を懸念する声が上がった。その一部をここに挙げる。
わたしも結果を見たときは落胆を通り越して呆れ、これから行われる政治を 想像してあまりの恐ろしさに顔面蒼白になった。ちなみに、否定的な意見が 多いのは、肯定的なコメントの内容があまりにお粗末だったから。 まともな意見もいくつかあったが、大部分は頭が痛くなるようなものだった。 え?どんなものかって?挙げたくはないがいくつか引っ張ろう。
何度みても頭が痛くなる。こんな奴らがいるから専制政治を許してしまうのだろう。 頭が痛くなるコメントを挙げたのは20代前半のフリーターが主だったが ( これは驚くことではないと思う )、中には大学生や40歳以上の社会人であるにも かかわらず「なんとなく」あるいは「みんなが入れているから」 という理由で投票していることにかなり驚いた。この点で、たとえ自民独裁に ならなかったとしても、日本の政治は「お先真っ暗」と言えるかもしれない。
「この国の民主主義は死んだ」という一言は疑いようもない事実だ。 自民だけで衆議院議席の2/3を占めるということはどんな法案であれ、 成立してしまうことを意味するからだ。たとえば平成の治安維持法といわれた 人権擁護法案があるが、これを成立させることも可能だし、消費税を10%どころか 「欧米を見習って」などを理由に任意の税率に引き上げることも可能なのだ。 法案は最終的には衆議院の採決が成立か否かを決定する。 たとえ参議院で否決されても衆議院で2/3以上の賛成が集まれば成立するのだ。 「なんとなく」だとか「格好いいから」とか「みんなが投票しているから」 などという理由で投票した馬鹿者に問いたい。 あなたたちは治安維持法の下で生活したいのか?
また、今回の選挙から「ウケ」を狙えば勝てるということが判明したことも 問題だ。投票した理由を見ると20代はともかくとして、40歳以上の世代でも 「格好がいいから」とか「TVで派手にしゃべっていた」からといった理由で 投票している国民がいることがわかる。つまりは耳障りのいい言葉を並べて、 見栄えのいいパフォーマンスを取れば選挙に勝てるといっても過言ではない。 こんなことでは民主主義などあったものではない。
小泉は「効率化」だとか「コスト削減」を訴えるが、その結果生じた 失業者の雇用対策はまともに行われていない。これは失業率が未だ4.4%も あることから明白である。また、痛みを分かち合おうなどと言いながら redistribution の仕組みはまったく変わっていない。昨日参照した CECDのレポートを見ると所得上位10%と下位10%の格差は4.9倍 ( 米国は5.4倍 ) にも達しており今後も増大していく傾向にあること。可処分所得平均の 50%以下の所得しかない人が15.3% ( 世界第5位。同じく増加傾向 )もあること から経済弱者を視野に入れていない、むしろ切り捨てる方向性であることがわかる。 小泉は先日の記者会見で「消費税率は上げない」発言をしたが、 某内閣のときに消費税率が5%に引き上げられた歴史をみれば 当てにならないことは言うまでもない。
消費税が誰にでも平等に課せられる税金というのは嘘っぱちだ。 なぜならば、金額の重みというのは所得の大きさで変動するからだ。 たとえば、日本における貧困所得者 ( 年収238万以下 ) と年収2000万以上の 高所得者では、所得税を引かれた後であっても購買力に格段の差がある。 所得税を引かれた後はそれぞれ 214万以下、1260万以上になるが両者の 購買力が同じだという人はどこにもいないだろう。両者が同じ買い物をして 20000円を使ったとすると消費税として2000円を払わなければならない。 この2000円は貧困者と高所得者で同じ価値だろうか? 高所得者の中には「たかが」と笑い飛ばす人もいるかもしれないが、 ぎりぎりのなかで生活をする貧困者は2000円について真剣に悩むだろう。
郵政民営化で税金の節約というのはやはり嘘っぱちだ。 付け加えるならば、郵政公社は独立採算であるから人件費などの運営に必要な 経費は全て公社自体が負担している。税金は使っていないのだから経費節減には 結びつかないのだ。民営化により誕生するのは営利のみを至上目的とする 企業であるから、全国に一定水準以上のサービスを提供しつづける義務は一切ない。 ゆえに、不採算地域からは撤退する。地域住民は郵貯、簡保のサービスを 利用できなくなるだけでなく、年金の受け取りにも困ることとなる。 郵政公社の収入の2/3は郵便貯金と簡易保険であるから、この2つを取り除くと 郵便事業だけで全国のサービスを維持するのは不可能なようだ。 郵政民営化を行った国はドイツとニュージーランドがあるが、結果は6割以上の 郵便局が閉鎖され、国民の生活が不便になっただけだった。より地形が複雑で 人口の過密化と過疎化が顕著な日本では、地方の生活水準の低下は より激しいだろう。もう一つ考慮することとして、アメリカなど 多くの国々で郵政職員は国家公務員、つまり郵政事業は国が運営をしているのだ。 失敗した先例があるにもかかわらずなぜ民営化を強行するのだろう。 また、なぜ諸外国は国営・公営のままなのだろう。
その他の公務員も減らさなければいけないというのも嘘だ。 小泉は公務員が多すぎて財政を圧迫していると主張しているが、 日本の公務員はむしろ少ない部類に入る。日本の公務員の人件費はGDPの 6.6%に過ぎない。アメリカやフランスは10%を越えていることと、 日本の人件費は海外に比べると高いことを合わせて考えると どれだけ少ないか想像できるだろう。実際その通りで単位人口あたりの 公務員数はアメリカの半分にも満たない。現場でも消防官、労働基準監督官 警察官は不足しているくらいで、地方自治体の役所でもサービス残業が 頻繁に行われているくらいだ。役所のサービスの質が悪いとか手続きに 時間がかかりすぎる理由は、2つある。一つは職員が怠けていること。 もう一つは人手が足りないために処理が追いつかないことだ。 現状は後者だ。ここからさらに公務員を削るって? 小泉がどれだけ馬鹿で有害な政治家であるかよくわかる。 サービスの更なる低下を招くことはあれど向上することは決してない。
必要なのは削減ではなく交換である。すなわち、窓際にふんぞり返って 新聞読むだけの明らかな税金泥棒はとっとと首にして、換わりに仕事が できる人材を連れてくるのだ。
過剰な公務員 ( 小泉が喚いているだけで実際には不足しているのだが ) を削減する前に優先して削減するべきものがある。 小泉がひたすら隠して守ろうとしているものだ。それは自分たちが持つ 「お金をもらう」特権である。歳費特権と議員年金だ。歳費特権では 議員一人に年間6000万円以上が使われている。 これは平均所得476万円の10倍よりも遥かに大きい。議員年金は年間約130万 を保険料として10年以上支払うことで65歳から年額412万を受給できる というものである。ちなみに在職期間が長いと保険料も増える。20年在職すれば 年間500万を受給できる。平均所得帯の厚生年金の掛け金は年間約69万円で、 40年間払いつづけても需給額は年間約280万円であるから、 議員年金が優遇されすぎていることに気付く。さらに付け加えると、 同じ年金暮らしでも議員年金の場合は平均所得帯に、厚生年金の場合は 貧困所得帯になる。厚生年金は倍以上の掛け金を払っているにもかかわらず、 年金の需給額は議員年金の半分程度しか受け取れないのだ。 なんと理不尽なことだろうか。
さらに、政党助成金というものが支給されるので、国会議員はこれによって 交付金を受け取ることができる。この交付金は使い道を問われない。 企業買収に使おうが、ビンテージワインにつぎ込もうが、ベンツコレクションを 作ろうがまったく問題にされない。実際、買収に使った議員もいたようだ。 もちろん、経費は別に出るし ( 歳費特権 )、給与も別だ。 つまり、国会議員は数千万の所得のほかに国から特別に 「お小遣い」をいただけるわけだ。なんとおいしい特権だろうか。 小泉らはこれらの特権を隠し、あるいは気付いているものに対しては もっと悪い奴らがいるぞ ( 削減対象の公務員や郵政公社だ ) と嘘をついて 目を背けさせることで自分たちの特権を必死で守っているのである。 理不尽な特権など削除するに限る。違うかい?
前述のように公務員削減は行うべきではなく、また郵政公社民営化の必要もない。 いま優先して行うべきは何か、また公約として掲げられているものの 必要性はあるのかを考慮すれば判別がつくであろう。しかし、小泉は 「国民の賛成多数」を得て独裁体制を作り上げてしまった。 成功の秘密は、国民の多くが政治に無関心あるいは縁遠いものと考えている ことに注目したことにある。コメントを見れば解るように、大学生でさえ 「格好がいい」とか「クールに見える」という理由で投票し、 フリーターにいたっては「投票するつもりはなかった」、40~50歳代でも 「格好いい」という始末。ここから、政治に無関心か政治はつまらないもの と考えている国民が多いことを読み取ったのだろう。今回の小泉の行動は 随所に「ウケ」狙いと思える点が見えた。スピーチでは一つ一つの台詞が短く ヒーローのごとく耳障りのいいモノだった。自分を正義に他を全て悪に 仕立て上げた。自分に投票すれば改革の勇士の一人になれるような物言いだった。
わたしが感じていることは、デバイドが複数の分野でどんどん広がっている ということだ。生活水準はもちろんだが、顕著なのは最近ようやくTVなどの メディアで取り上げられるようになったデジタルデバイドだ。 情報を扱える者と扱えない者の差が実に激しい。一方ではメディアに踊らされる ままに「作られた流行」に流され、メディアの鸚鵡返ししかできない者もいる。 両者の差は、あまりにも大きい。前者はメディアが流す情報のままに行動し、 メディアから流れる情報は絶対的に正しいと信じて疑わないのだ。 自己PRもマニュアルそのままで ( つまり誰のを見ても同じ ), ディベートなど 当然できぬ。外れているものや知らないものは「異端」というレッテルを貼り付け、 徹底的に排除しようとまでするのだ。まさしく金太郎飴ロボットで、 これほど不気味なものはない。
他方では、必要なものに関する情報を調べて自分にあったモノを探し出し、 自ら情報を調べて物事の真偽を判断して論ずることができる人がいる。 探究心・追究心があるので、自分から知識の輪を広げていくようだ。 彼らは言われたままに動くのではなくて、大抵の場合は命題を考察し 解決方法を考えてから動く。時には失敗するが、そのときは結果を分析し 失敗から学び取って成長していく。話してみると ( debate with them ) なるほどそういう考え方もあるのか!と新しい発見があることもある。 ブログを回ってみると今回の選挙について触れているサイトがいくつもあったが こちらに属するであろう方々は様々な資料を探して、それぞれが 持論を論じていた。多くは郵政民営化に反対するものであったが、 とても説得力がある内容で、郵政民営化賛成派のトンデモ説とは一線を画していた。
自ら成長できる人間と言われなければ動かない人間の差はあまりにも大きい。 取り返しのつかなくなる前にとよく耳にするが、もはや取り返しのつかない 事態になってしまっているのかもしれない。これは階層化社会の始まりともとれる。
階層化と切り捨て政策がこのまま行われていくとしたら、そこは住みやすい国に なるのだろうか? 国民が安心して過ごせる国があるのだろうか? わたしはそうは思えない。そこは殺伐として、誰もが周りを蹴落とす機会を狙う ような社会だろう。国政は一握りの強者の特権を守り、利益を助長するために あるのではない。弱者であっても安心して暮らせる社会を作るためにあるのだ。 小泉はこの逆を行う政治家である。小泉が鞭を持って自分たちをひっぱたくような 社会がいいと思うならそのまま黙っているといい。彼はきっと実現してくれる。 でも、もしあなたがそんな社会はまっぴらごめんだと思うなら、安心して暮らせる社会がいいと思うなら声を大にして 主張するべきだ。「歪んだ改革は今すぐやめろ」
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